隅田川の桜は江戸時代より現在に至るまで親しまれており、今ではソメイヨシノが植樹されていますが昔は山桜が植樹されていました。
洪水による堤防の決壊、関東大震災、第2次世界大戦など度重なる災害を経て、江戸の桜の名所として隅田川の桜は今に至りましたが
始まりは徳川四代将軍徳川家綱が隅田川御殿跡(鐘ヶ淵の木母寺の辺り俗称向島)に植えたことからです。
享保二年(1717)八代将軍徳川吉宗が大川(隅田川)氾濫による堤防の決壊を防ぐため人の集め、遊歩により堤を踏み固めさせる目的で桜並木100本の植樹を命じ、さらに同十一年(1726)桃・柳・桜を各150本植え、隅田村の阪田家に世話を命じ、さらに同十七年(1732)に寺島村から木母寺までの桜並木が完成したものだそうです。
その後文化年間(1804〜17)に向島百花園の主佐原鞠塢氏、朝川黙翁氏、中山卜鄰氏らが150本、天保二年(1831)阪田七三郎氏が200本を増植したので、同三年(1832)までに三囲神社まで延長しましたが、弘化三年(1846)の大洪水で堤が決壊、須崎村の宇田川総兵衛氏が私費で修築。その義に感じた村人が総兵衛氏の行為を顕彰して150本、安政元年(1854)阪田七三郎氏が200本を植え旧観を復したものだそうです。
明治になり、大倉財閥の大倉喜八郎氏、成島柳北氏が安田財閥の安田善次郎氏が、川崎八右衛門氏らが出資し、村人の協力を得て「墨堤の桜」はついに完成したそうです。
東京メトロ:銀座線浅草駅下車 隅田川:徒歩1分  浅草寺:徒歩10分 周辺有料P有
撮影日:2015年3月28日
撮影日:2015年3月29日
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浅草(浅草寺/隅田川)の桜
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