東京都紅葉の名所
紅葉の名所
紅葉とは 一般に落葉樹のものが有名であり、秋に一斉に紅葉する様は観光の対象ともされます カエデ科の数種を特にモミジと呼ぶことが多いが 実際に紅葉が鮮やかな木の代表種である 狭義には、赤色に変わるのを「紅葉」、黄色に変わるのを「黄葉(おうよう)」 褐色に変わるのを「褐葉(かつよう)」と呼びますが これらを厳密に区別するのが困難な場合も多く、いずれも「紅葉」として扱われることが多い。
東京都
  
皇居乾通り&東御苑
紅葉が見頃迎えた皇居・乾通りの一般公開、いわゆる「皇居の通り抜け」の紅葉画像と東御苑の紅葉画像です。
東京駅側の坂下門から宮内庁庁舎の前を通り、日本武道館側の乾門に抜ける約750メートルの並木道が期日限定で一般開放されました。
皇居の通り抜けは、天皇陛下の傘寿を記念して、2014年の春に始まり、桜の開花や紅葉の時期に行われてきたが、老朽化した樹木を植え替えたため、2016年春以来、2018年度紅葉時期の一般公開はおよそ1年半ぶりの公開となりました。(桜と紅葉の時期の一般公開日は、宮内庁ホームページかテレビ・ラジオ報道で確認して下さい)
 

上野恩賜公園
上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、東京都台東区にある公園。通称上野公園。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、「上野の山」とも呼ばれる。公園内には東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して立地している。また彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があることでも知られる。


上野・不忍池
不忍池(しのばずのいけ)は上野恩賜公園(東京都台東区)の中に位置する天然の池である。桜の季節にはソメイヨシノをはじめ、様々な品種の桜が花をつけ花見客で賑わう花の名所でもある。弁天島に建つ石碑によれば、「不忍池」の名は、かつて上野台地と本郷台地の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来するとのことである。
ただし、異説もあり、周囲に笹が多く茂っていたことから篠輪津(しのわづ)が転じて不忍になったという説(『新編武蔵風土記稿』)や、ここで男女が忍んで逢っていたからという説(『望海毎談』)もある。15世紀頃には既に「不忍池」という名で呼ばれていた。
 

六義園
六義園は、徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営した大名庭園です。
元禄8年 (1695) に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させました。
「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来します。

小石川後楽園
小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区にある都立庭園で江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)であり、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。
水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。
11月中は紅葉祭りが開催されている。、紅葉スポットは庭園の中心的景観。琵琶湖を表現した景色を造り出した大泉水そばにある紅葉林。そして清水観音堂跡あたり。

護国寺
護国寺の創建は天和元年2月(1681)、五代将軍徳川綱吉公が、その生母、桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山とし、幕府所属の高田薬園の地を賜い、堂宇を建立し、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、号を神齢山悉地院護国寺と称し、寺領三百石を賜ったことに始まります。翌2年、堂宇は完成した。
明治16年、大正15年と火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また、近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えています。その他、薬師堂、大師堂、多宝塔、忠霊堂や創建当時のものと伝えられる仁王門、惣門。そして中門と多くの堂宇が保存、または再建されている。また、元禄文化の粋を集めた書画・什器の他、国宝、重要文化財等の数多くが寺宝とされています。震災、戦災と二度の大災害に襲われた東京の都心にありながら、江戸の面影を今に伝える当寺の姿は、訪れる人々の心のふれあいの場として、昔も今も変りなく親しまれています。

肥後細川庭園
肥後細川庭園は、目白台台地が神田川に落ち込む斜面地の起伏を活かし、変化に富んだ景観をつくり出しています。
湧水を利用した流れは「鑓り水(やりみず)」の手法をとりいれて、岩場から芝生への細い流れとなり、その周辺に野草をあしらっています。
池はこの庭園の中心に位置し、広がりのある景観をつくりだし、池をはさんで背後の台地を山に見立てています。
その斜面地は深い木立となっていて、池に覆いかぶさるようにヤマモミジやハゼノキの一群が、秋には真っ赤に紅葉した姿を水面に映し出します。
山に続く園路は深山の中の自然の尾根道のようです。所々に開けた空き地があり、ベンチが置かれています。

椿山荘日本庭園
明治11年に第3代、第9代総理大臣を務めた・山縣有朋が、自分の屋敷として「椿山荘」と命名し、趣味である作庭を行いました。
大正7年に阪神財閥のひとつ藤田財閥が別邸として譲り受け、その後1万余の樹木が移植され、昭和27年より結婚式場として営業を開始しました。
平成4年に、敷地内にフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業しました。
平成25年(2014)にフォーシーズンズホテルズ&リゾーツ社との業務提携契約の終了により「ホテル椿山荘東京」となります。
庭園は一般公開されており、椿や桜など植物、史跡等を鑑賞できます。
 

神宮外苑銀杏通り
神宮外苑のいちょう並木は、大正12年代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内)の苗圃で、樹高6m内外に成長していた1,600本より選ばれ、更に年々樹形を整えてきたものを植栽したものです。
現在のいちょう並木は、青山口から円周道路まで300mの並木は146本、9m間隔で植えられ、途中西折して秩父宮ラグビー場に至る2条も含まれております。

有明・臨海副都心
紅葉が見られるのはりんかい線「国際展示場」から「東京テレポート」にかけてある【シンボルプロムナード公園】。
このプロムナードは橋が多く、西から出会い橋・夢の大橋・つどい橋と、りんかい線東京テレポート駅からお台場海浜公園方面まで
延びるテレポートブリッジの4つの橋がある。テレポートブリッジとパレットタウンの間にはジミー大西が製作したオン・パレひろばというカラフルなオブジェがある。
パレットタウン付近から東側は急激に人が少なくなり、特に夢の大橋は隠れたデートスポットである。
 

国営昭和記念公園
東京ドーム約39個分の広大な公園では、11月上旬から下旬にかけて見頃を迎えます。
立川口からすぐのカナールの両脇には左右に2列ずつ106本のイチョウが200mにわたって植えられ、樹形が美しく整えられ黄葉になると、カナールに黄金のさざなみが立ったように見えます。
他にも、うんどう広場の道の左右に300mにわたって続く98本のイチョウや、園内にはカエデ類も多数あります。
日本庭園では紅葉を見ながら一服のお茶も楽しめます。
 

高尾山の紅葉
高尾山の植物はカシなどの常緑広葉樹、落葉広葉樹林(ブナ・ナラ・ホオノキなど)、中間温帯林(モミ・ツガなどの針葉樹林)の境界に位置するため植生が豊かであり、都市部に近い割には比較的状態よく保たれている。関東山地の東縁に位置する
最大の紅葉の名所のひとつ。11月中は高尾山もみじ祭りが開催されている。
天気のいい日は富士山や東京スカイツリーがはっきりと見ることが出来る。

奥多摩地区
紅葉スポットとして多摩川沿いの渓谷、四季の姿を映す奥多摩湖が賑わっており、例年では11月の上旬から下旬に掛けて見ごろです。見ごろの時期にはもみじ祭りや色づいた木々がライトアップされて夜間鑑賞もできます。奥多摩駅からすぐの氷川渓谷は日原川・多摩川沿いと愛宕山中腹に遊歩道が整備され、紅葉の中でハイキングを楽しむことができます。奥多摩湖に映し出された紅葉は鏡に映しだされたみたいで絶景です。
愛知県
香嵐渓
1634年(寛永11年)頃に香積寺第11世住職三栄和尚がスギやモミジを手植えしたのが始まりとされ、大正末年から昭和初期には住民
のボランティアでモミジの大植樹が施された。昭和5年に香積寺の香、山中に発する山気すなわち嵐気から香嵐渓と命名された。モミジ
の本数は約4000本と言われている。11月1日(土)から30日(日)に開催される香嵐渓もみじまつり期間中は21時までライトアップされる。
神奈川県 
 
   ①神奈川県内の紅葉の名所16ヶ所
   ②全国の紅葉人気ランキングの1位~3位
   ③紅葉の豆知識
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