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東京都藤の名所 神奈川県藤の名所
東京都
亀戸天神
総武線亀戸駅下車 北口より徒歩15分 総武線、地下鉄半蔵門線錦糸町駅下車 北口より徒歩15分
都バス亀戸天神前下車すぐです。
寛文2年(1662)道眞公の末裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、
太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源としています。
爾来、亀戸宰府天満宮とも称され信仰厚く、また、朝野の信仰も厚く、行楽の名勝地としても喧伝され、
江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢を占めています。神苑の藤は、早春の梅とともに亀戸天神社を
代表する花である。特に藤は東京の花の名所として名高く、江戸時代から「亀戸の五尺藤」「亀戸の藤浪」として
広く親しまれている。15棚100株の藤の盛りの華麗な美しさが、朱の太鼓橋と心字池の水面とのコントラストによって
一段と際立ち、見事さを誇っています。ピーク時には1万房以上の花を咲かせるという。中でも1.5メートルにもなる
長藤は姿は、とても優雅で見ごたえ充分です。5月の連休には30万人以上の花見客が訪れる。
期間中ライトアップされます。(日没から0時まで)、
東京大学大学院理学系研究科付属植物園
小石川植物園ふじ園
国立大学法人東京大学大学院理学系研究科付属植物園「小石川植物園」は暖帯に位置し、本来の植生はシイノ
キ、ヤブツバキ、ヒサカキ、ヤブコウジ、ベニシダなどの暖地性の植物で構成されるシイ林でありました。また、シイ
林が破壊されると、コナラ、アカメガシワ、ムラサキシキブ、ガマズミ、アズマネザサなどを主とする二次林ができる。
この様な林が本植物園の傾斜地に残っています。本植物園では日本、朝鮮、中国を含む東アジアに分布する高等
植物を中心に収集・栽培を行っています。草本性植物は植物分類標本園、薬園保存園、山地植物栽培場などに栽培
されているほか、樹林内や林緑に合計約1500種(園芸品種を除く)があります。その他、熱帯・亜熱帯産の植物約1100
種を温室で栽培しています。
都立神代植物公園
神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)は、東京都調布市にある東京都立の植物公園です。
武蔵野の面影が残る園内で、四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができます。園内には約4,800種類、
10万本・株の樹木が植え られています。園内はバラ園、ツツジ園、梅園、ハギ園、フジ園、牡丹・シャクヤク園、
はなしょうぶ園、エビネ・あじさい園をはじめ、植物のの種類ごとに30ブロックに分けており、景色を眺めながら植物
の知識を得ることが出来るようになっています。
フジ:マメ科フジ属の植物は東アジアと北アメリカの温帯域に約9種が知られており、いずれも落葉性のつる性木本
です。日本にはフジ(ノダフジ)とヤマフジの2種が自生しています。園芸植物として利用されているのはフジ、ヤマフジ、
中国原産のシナフジが主で、ほかに北アメリカ原産のアメリカフジがまれに利用されることがあります。当園では、
ヤマフジ・ノダフジの園芸品種ムラサキナツフジなど13品種49本が植えられ、4月下旬〜5月上旬まで楽しめます。
町田ぼたん園・園内にある二架の藤棚
町田ぼたん園は、薬師池公園の北側に位置する民権の森公園内の、七国山と連なる比較的緩やかな、
標高75〜90mの南斜面にあります。周辺には、薬師池公園を初め、町田リス園、町田エビネ苑、町田ダリア園、
七国山緑地保全地域など、花とみどりの施設が身近に点在し、市内でも景観の美しいところです。
その園内に二架の藤棚があります。一架は"憩いの広場"に、もう一架はお休み処前広場にあります。
咲きそろった"ボタン"と一緒に藤棚をお楽しみ頂けます。
尚、ぼたん、シャクヤクの開花期間中のみ入園が有料で、花が咲き終わると一般公園として無料で入園出来ます。
栃木県
あしかがフラワーパーク
(世界が息を呑んだ美しさ・世界一の藤棚や藤の花)
あしかがフラワーパーク は、栃木県足利市迫間町にある花のテーマパークです。
足利市堀込町に早川農園として開園、1996年2月4本を現在地の迫間町に移植する。
園内は数多くの花々や植物で彩られていて、春から秋にかけて市内外から数多くの来場者を集める。
なかでも「炭素埋設世界一(260t)」を誇る大藤は日本で初めて大藤の移植に成功し、その言葉通り広大な規模で、
訪れる人々の目を釘付けにする。移植は日本の女性樹木医第1号の塚本こなみによって行われたもので、
樹齢約140年、枝の広がりは517平方メートル(500畳の広さ)に及ぶものもある。
また毎年ゴールデンウィークにあわせて大藤まつりが開催されています。園内は8つの花の季節に分けて
テーマを設け、第一章「早春」〜第八章「光の花の庭」とそれぞれのステージに数百株の花木が季節を彩りしています。
例えば草花が停滞期とされている12月〜1月は第八章「光の花の庭」のステージで、イルミネーション等による演出で
若者達のデートスポットとしても賑わっています。
神奈川県(12ヶ所)
横須賀しょうぶ園「ふじ苑」
JR横須賀線「衣笠駅」下車、バス池上経由横須賀駅行き「池上中学校前」下車徒歩15分
京浜急行「汐入駅」下車、バス池上経由衣笠駅行き「池上中学校前下車 P有 臨時P有
大楠山の山懐に、横須賀市立しょうぶ園があります。ふじ苑内では、11品種250本のふじが4月中旬から5月上旬まで
藤棚やフジのトンネル、ポール仕立てなど多様なフジの花姿が楽しめます。苑内で見られるフジは黒龍藤・本紅藤・
白野田藤・口紅藤・紫甲比丹藤・白甲比丹藤・長崎一歳藤・におい藤・八重黒龍藤・九尺藤・桃色系藤です。
その他、しょうぶ園内には花菖蒲をはじめ、あじさい・バラ・しゃくなげ・ユリ・スイセン等、一年中花が咲き乱れています。
神奈川県最大級のふじ苑です。(11品種250本)
2016年ふじまつりは、4月23日(土)〜5月5日(木・祭日) 4/22現在の咲き状態は藤棚は3分咲、ふじ木は満開の木も
ありましたが、全体的には3部咲き位で、見頃を迎えるのは一週間後位と思われます。(私感ですので、見頃の時期はご
自身でお調べください。
2016年4月22日の「ふじ苑」の画像をリンクしています。ページ上のリンクボタンからお入りください。
フラワーセンター大船植物園
神奈川県立フラワーセンター大船植物園は、神奈川県内の観賞植物の生産を振興するため、
昭和37年に神奈川県農業試験場の跡地に開設されました。既に大正年代から、この地で改良・育成されたしゃくやく、
はなしょうぶなどを中心に、国の内外から収集した優れた観賞植物を栽培・展示しています。
花木、樹木は現在約5,700余種・品種となりました。代表的花種は、芍薬(しゃくやく)200品種、
花菖蒲(はなしょうぶ)170品種、牡丹(ぼたん)120品種、躑躅(つつじ)200品種、梅(うめ)50品種、
洋蘭(ようらん)500品種、薔薇(ばら)360品種、椿(つばき)220品種です。
また、平成4年10月に開園30周年を記念し建替えられた観賞温室では、熱帯・亜熱帯の花の美しい植物約1,300種
・品種が通年楽しめます。
総面積 63,900u 芝生 11,488u 花壇 4,500u 樹園 7,621u
なお、県立フラワーセンター大船植物園では、観賞植物の植栽及び展示・試作及び増殖、相談及び知識の普及を図
るとともに、併せて県民が植物に親しむ場を提供しています。また、花壇、造園構築物及び温室の維持運営、優良種苗
の配布及び栽培指導、国内外植物園との資料及び種苗の交換、展示会等の実施 、図書室及び資料標本室の維持運
営を行っています。
鎌倉・鶴岡八幡宮の藤棚
鶴岡八幡宮の源平池は藤、躑躅(つつじ)、桜、蓮、ぼたんの名所として知られ、鶴岡八幡宮境内でも人気の場所です。
源氏池を囲むように源氏池の畔には「ノダフジ」の棚、旗上弁財天社の前には「シロフジ」の棚があり、「ノダフジ」は
4月下旬から5月上旬。
「シロフジ」は4月中旬から下旬にの見頃を迎えます。
なかでも、源氏池の藤棚を間近に愛でる藤の花も見事ですが旗上弁財天社からの眺望による藤の花もまた見事。
そよぐ風に揺れる藤の花房は初夏の訪れを感じるようです。見頃を迎える期間には沢山の参拝者が源氏池、旗上
弁財天社の藤棚に訪れています。
英勝寺の白藤と境内に咲く花々
「白藤」の見頃は4月下旬〜5月上旬 。
英勝寺は鎌倉唯一の尼寺であり、開基の英勝院尼はお勝の方と呼ばれ、徳川家康の側室として仕えていた。
水戸家初代当主、徳川頼房の 養母をつとめた後、家康の死後は出家して院号を英勝院とした。1636年に三代
将軍家光から祖先道灌の土地を受け、英勝寺を建立。頼房 の息女・玉峯清因を開山に迎え、以後代々水戸徳川家
の息女がつとめたため、水戸御殿とも呼ばれていた。
英勝寺では四季折々の花を見 ることができ、花の寺としても知られています。現在では英勝寺境内は特別拝観が
可能となっていますが、英勝寺の総門は通常閉鎖されて いるため、総門の前から塀に沿って進み、通用門から境内
に入るようになっています。
横浜・三渓園の藤棚
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。
175,000m
2
に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。
(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三
溪の手により1902年(明治35)から造成が始められ、1908年(明治41)に外苑、1923年(大正12)に内苑が完成するに
至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、
下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。
その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人
三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。
藤沢市・白旗神社
白旗神社は、関東地方・東北地方・中部地方に分布する神社で、白幡神社・白籏神社とも表記されています。
多くは源頼朝を主祭神とするが、他に源義家・源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神と
するものが多いです。社名は源氏の旗である白旗に因むものであります。
ここ藤沢に鎮座する白旗神社は、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公を
お祀りしています。
ご由緒:創立年代不詳。寒川神社を勧請した寒川神社だったが、宝治3年(1249年)9月に源義経が合祀され
白旗明神ー白旗神社となりました。近くに伝源義経公首洗井戸があります。
平泉で自害した義経と弁慶の首は、腰越浦での首実検の後、境川に捨てられ、夜の間に二つの首は白旗川を
さかのぼり、この地に辿れり着きました。このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから白旗明神とし
てこの神社に祀るように指示しました。こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるように
なったそうです。
尚、弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られています。境内には、義経藤(白)/弁慶藤(紫)が植えられ
ています。
藤沢市・瑞山藤園
地元では”藤の名人”として知られる、端山照次郎氏の個人宅。
開花シーズンのみ一般開放されています。150cmもの見事な花房が垂れ下がる藤棚は、”藤沢一”と称賛されてい
ます。
尚、個人宅の為、詳しい情報はありません。
藤沢市・大場城址公園
大庭城は、12世紀関東平氏の雄、大庭氏の拠を15世紀になって太田道灌が本格的に築造し、その後小田原北条氏
が改修したと伝えられています。
太田道灌は関東管領上杉家に仕え江戸城を築造したことでも知られています。
周辺に、駒寄、裏門、二番構(にばんがまえ)などの地名が残っているところからも当時の雄大な城が偲ばれます。
大場城址公園の藤は、城郭をイメージした大パーゴンの藤棚が2つ、バラ園にも2つの藤棚があります。
藤沢市・引地川親水公園
平成9年に開設された16.14ヘクタールある公園は、中央に北から南へと引地川が流れています。
園内には、主にサッカーに利用されるスポーツ広場や芝生広場、木製遊具や複合遊具、ローラーすべり台などの施設
があります。
また遊水地や木道のある湿性植物園があり、四季折々の植物、昆虫、野鳥を観察することができます。
藤沢市・長久保公園
藤沢市長久保公園都市緑化植物園は、市内の都市化が進む中、市民に安らぎと潤いを与え自然と触れあえる公園
としてまた、みどりの普及啓発活動の拠点として、平成元年に開園しました。
約34,000uの園内では春から夏にかけてサクラやフジ、バラ、ハーブなど季節の花が見ごろを迎え、池には藤沢
市の鳥“カワセミ”がしばしば飛来します。
また、みどりの相談所にはみどりの相談コーナーをはじめ、みどりの図書室、展示ホール、研修室があり、緑化講習
会やみどりに関する展示会など様々な緑化普及活動が行われています。
長久保公園の運営管理は平成25年4月から平成30年3月までの5年間、指定管理者である公益財団法人藤沢市ま
ちづくり協会が行っています。
藤沢市・新林公園
新林公園は藤沢駅の南東1km足らずの所にある自然公園で、湿生植物や野鳥の宝庫になっています。 公園を取り
巻く尾根筋には散策路も巡っていて、自然を満喫できる場所になっています。 尾根筋の散策路には見晴らしのいい
所もあって、 天候に恵まれると丹沢や箱根を始め、富士山や烏帽子岩を望むことができます。
新林公園の藤は、藤棚は公園のシンボルで藤棚の下にはベンチも配置されています。
尚、藤棚の半分部分の藤が新しい木に植え替えられている為まだ棚に絡みついていない為寂しい藤棚になっていま
す。
小田原城址公園・御感の藤
小田原城天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興されました。
江戸時代に造られた雛型や引き図を基に昭和35年に江戸時代の姿として外観復元され、
内部は歴史資料の展示施設となっています。3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、
地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2です。
御感の藤は、城址公園南入口の御茶壷橋脇に有り、毎年4月下旬から5月上旬にかけて
花房が1メートルあまりにもなる見事な藤棚です。
昔、大正天皇が皇太子の頃、小田原御用邸にご来臨の際、
この藤の花の下に召馬が駆け込み、花を散らしたので、皇太子(大正天皇)は
「見事な花に心なきことよ」と、しばらく馬を止めて感嘆されたため、その名がついたといわれています。